先日Y耳鼻科様の外来でT様とお話してて節に感じたのです。
「我々はどこまで難聴者の方々に寄り添えているのか」を。
いきなり話題を変えますが、先日ニュースで手話に関しての記事を読んで違和感を感じました。
これから言う事は私の主観であり、正しい・間違っているの話ではありません。
記事のタイトルはソースを記載すると色々面倒なので控えますが、記事の内容(タイトル)は
まあ簡単に言うと
「世の中の風潮からジェンダー議論 男か女かを決めて表現するのは手話を使う人はとても困っている」
的なものでした。
私が違和感を感じたのは内容はいいとして、タイトル。
ニュースだから読んでもらうために気を引くタイトルを付けたいのは、分からなくもないけれど、
手話をつかう方や難聴で困っている方が全員そう思っているのだ と決めつける ましてやジェンダーを
絡めるのはどうなのかな?と。
ここには「世の中の様々なバイアス」が含まれているのだと思う。
例えばここまでの「私」という一人称が
「俺はこう思います」
「新井はこう思うのでした ^^) 」
とかににすると違和感感じませんか?
そうです。ジェンダー的な点ではなく表現方法のほうが大事なのです。
私の周りにも手話を使う方が多数おりますが、今回の記事の事を憂いている方は1人もいません。
今回の記事も根底は同じと感じました。
世を憂う(問題)ように見えて、結果 手話を用いる人 難聴で困っている人を「どこか上から見ている」
(現代風に言うとマウント?)と感じたのが今回の違和感なのでしょうね。
性別 年齢 資格(指導) そこへの拘りがある人間に共生社会は生みだせないし、人に寄り添うことはできないのだ。
負けないよ!ボク!(← あ・・・)
草加店 A